【コラム】我レ、未ダナヲ達セズ ピュアオーディオの覚悟
残念ながら、この世界では「レベルの高い音」というものが厳然と存在します。
僕はこれをメインブログである「ぶろぐなんかめんどくせえよ」では「一定水準以上の音」と表現していますが、ジャンルや好みなど消し飛んでしまう明らかに水準そのものが高い音というのが確かに存在しています。
そして、この一定水準以上の音の中でもおそらく更に高い最高水準の音というものもまた存在すると僕は信じています。
かつてCDが影も形もなかった時代に、世界でごくわずかの選ばれた人たちがレコードで既にCD並の音質を堪能していたのを知っている方もいると思われます。
当時、この水準の音にたどり着けたのはおそらく日本で数人から数十人、世界中でも百人ほどでしょうか?
この音にたどり着くためには幾つもの厳しい条件があり、一般人がその入り口にすら佇むことを許されなかった音です。
それは豊かな資産と豊富な音の経験が共に必要とされ、一般人は想像することも許されませんでした。
こういった最高水準の音はいまでも極一部の人たちだけが堪能できる特別な世界となり、これはある意味で音の特権階級の話しです。
努力だけではたどり着くことが出来ず、その音に触れるためには「選ばれる」必要があります。
さすがにここまでの音を一般人が出すことは不可能ですが、それでも「一定水準以上の音」を出すことは可能です。
ただし、ある程度の資金の投入と音の経験、そして時間が必要となってきます。
こういったレベルの音はそもそも出せる機器が限られてくると云う事もあるのですが、アンプとスピーカーがある一定水準を超えると、ジャンルだの個人の好みだのを超えた普遍的な音がすることは事実です。
この水準が高い低いというのは誤解を招きやすいのですが、こればかりはもう自分の足を使って音を聞き続けるしか方法がないことも確かです。
例えば極一部のスピーカーはボーカルにとても妖艶な艶がのりますが、これがどれほど美しいかは聞いたものしか分かりません。
しかもこういった音が半導体のアンプを使って素で出せるスピーカーは僕はいままででひとつしか知りません。
大事なことは、今もどこかでこういった音をひっそりと出している人が居るという事です。
ピュアオーディオを目指すという事は、この水準に達することと同義だと僕は思っていますので、僕は自分が苦労して買った機器を絶えず否定し続けるのです。
「まだ足りない」そう思うことだけがたどり着くための唯一の解で、それがピュアオーディオの矜持でもあるのです。
なのでこのブログに一部ご不快思われる表現などがあると思われますが、既に死に絶えつつあるピュアオーディオ出身として、最後のプライドだと思っていただければ幸いです。
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