原音再生とは何か? あるいはオーディオ的な音づくり。
よく「原音再生」という言葉を使う人が居ますが、そんなモノ再生出来るわけがないと思うわけです。
オーディオとは何かと問われれば、それは・・
「美しく音をデフォルメする」事だと思います。
如何にして「よりそれらしく再生する」ことがオーディオの使命であって、それ以外にはありません。
原音再生派の人たちにいいたことは、「それでたどり着いたのか?」と云うことだけです。
そもそもどれが原音なのかが分からない現状で、そのわかりもしない原音を再生することにどれだけの意味があるのかと思います。
最近の電子音系の音楽には「原音などそもそも存在しない」訳ですし、そうでなくても例えばバイオリンの音が完璧に再現できるのかと言えばそれは再現できません。
ただバイオリンの音をそれらしく再生することは出来ますし、この「それっぽい」という事がオーディオのすべてだと僕は思います。
そして、一流のオーディオ機器はただそれらしいだけではなく、その音色が、その音がとてもまろやかでずば抜けた音を出すことが出来ます。
だからこそ全体を見る必要があるわけで、ごく一部の音だけを追求しているといつの間にかそのシステムは歪んだ醜い音を立てるようになり、そういったシステムでシンバルの部分的な倍音が巧く鳴るとシステム全体のレベルが一段階上がったような気持ちになったりします。
ですがそういったシステムでさまざまな音源を流してみると結果的には聴いていられないような嫌な音を出してしまうわけです。
あるいはオーディオ雑誌などでよく見られるような音楽家のプロの方が使うオーディオ機器が素晴らしいかというとどうもそんなことはなく、オーディオ的に聴くと云うことでいえばまた別な才能が必要なのだと思うところもあります。
実際の所、オーディオの設計者とプロの音楽家とはまったく別なもので、それはおそらく交わることはないのだろうと思ったりもします。
さて、録音ひとつ取っても、それを収録した後に「音をいじくり倒して」しまっている訳で、今やバイオリンのソロ演奏ですら「つぎはぎだけら」でミステークを直した代物に過ぎません。
そうやって僕たちの所に届いた音楽は原音からは既にほど遠いモノで、それを原音再生などと云って目指している人を見ると「不可能に挑戦している」としか思えないわけです。
ですからもう一度言っておきますが、オーディオとは「如何に美しく音をデフォルメし、如何にそれらしく聴かせるか」という事に過ぎません。
そして、この事は憶えておいていただきたいのですが、極一部の設計者はその音色においてずば抜けた機器を作ることが出来ます。
そういう人は世界に限られた数しかいませんが、確かにそういう耳で合わせて作られたというオーディオ的な音があるのです。
それは決して正しい音ではなくとも、とても美しくデフォルメされている音だとだけ言っておきましょう。