オーディオとは自分自身との戦い
ピュアオーディオとは何かといえば、それはオーディオと向き合う姿勢そのものだと思う。勘違いして欲しくないのだが、決して高額な機器を使いこなしている人のことではない。
それは成金オーディオという別なジャンルの人々だ。そういう人は人に見せびらかすことを含めて「オーディオは値段が高ければ高いほど良い」と思っている人で、実際のところ、彼らの耳ではそう聞こえるのだからある意味幸せな人たちと云える。
実際のところ、高額な機器ほどとにかく褒めておけば間違いない。というのも誰からも批判されることはないからだ。訳の分からないポエムが書ければ更に良いだろう。
また、大手ブランドになればなるほどヒエラルキーがしっかりと製品ごとに構築され差が与えられていたりするので普通は上位製品を褒めまくっておけば間違いないのも事実だ。
ただ例えば中華イヤホンではこれら従来の考えが当てはまらないことが多々あるので、正確に言えば、製品がキチンと考えられて作られていないと云える。ほとんど行き当たりばったりのような音作りをしたりするで、玉石混淆の混沌とした市場が形成される。
ひとつの目安としてはドライバ数を価格に反映させることだろうか。
素人を騙すにはこれほど有効な手は今のところない。ドライバ数を多くすれば単純に価格を上げられる。利益率を極端に上げることが出来る。
価格を上げればなぜか「高音質だから価格が高い」と勘違いする人が一定数でてくるものだ。そういうカモを狙ったマーケット手法が確立される。
ところが実際に耳で聞くオーディオではドライバ数と音質は反比例の関係にある。
ドライバ数が少ない方が音が良いのだ。
実際に自分の耳で1DDや1BAの本当に優秀なモデルの音を聞いてみれば良い。
音のハーモニーにしろ音色にしろ、どれをとっても多ドラでは太刀打ちできるようなものではない。見かけの解像度や分離は多ドラで上げることは出来るのだが、そんなものは本質ではない。
いや、正確に言おう。
多ドラでもおそらく最も高い位置に来ることは不可能ではないのだ。だがどうして1ドライバモデルで最高の音が設計できないのにより困難な多ドラでその音を実現するというのだろうか。
できるわけがないだろう。
日本のメーカーや中華メーカーが高価格モデルで何をやっているのかと云えば、音を誤魔化している事が大半だ。
要は必要以上に解像度を上げたり、帯域バランスを極端に振ってみたり、やたらと音を鋭くしたり鮮明にしたりして騙しているだけだ。
まともな音ではない。
希に本当に開発者の耳がおかしくないか?というようなメーカーもあるのだが、こう言うのはもうオカルトオーディオの世界に片足を踏み込んでいるような人たちなので、むしろもう言葉が通じない世界にいるようなものだ。彼らに語りかけても彼らの頭の中ではそれが事実なのだから、ねじ曲げられた現実を直視することはないだろう。
そんな「思い込みオーディオ」を実践している人よりも、割り切っているだけ月刊ムーのほうがよほど潔い。
話を元に戻そう。
ピュアオーディオを志向するという事は、自分自身と戦う言う事と同義である。音を良くしたい一心で藁にもすがる思いでオカルトグッズを手に入れて見る、こんなものは実際には何も変わらないのだが、多くの人が「音が変わった」と騒ぎ出すのが現実だろう。
中には悪質なものもあって、ご丁寧に意味不明な科学的グラフを提示していたりするものもあるので厄介だが。
それで変わった音などすべて単なる思い込みや勘違いなのだが、それを振り払う強さがオーディオには必要だ。
オーディオの本当の敵は自分自身である。
ピュアオーディオであると言うことは、もっとも険しきをゆく、と云うことであって山の頂を目指して上り詰めていく人のことを指す。使っている機器の価格などまったく関係が無い。
数千円のイヤホン使っているからたどり着けないとでも?
そんなことは断じてない。
冷静で真摯で誠実である事。それは傷みや苦労を伴うだろう。
それでも行かねばならない。ピュアである、と云うことはそういうことなのである。