【まとめ】中華イヤホン&ヘッドホンとDAPレビュー辛口のオススメ

中華低価格イヤホンとヘッドホン&デジタルプレイヤーDAP系のレビューのまとめとオススメです。購入した物や使ったモノが中心となります。誠実なレビューを心がけたいと思います。 。。基本的にライトな感じで一分で理解できるサイトを目指しています。このブログは「ぶろぐなんかめんどくせえよ」のスピンアウト・ブログです。なお、無断転載不許可です。

孤独な戦い

 

V22マガジンはこの記事にて終了して、今年は新しくV23マガジンを発行しながらまったりと行こうかと思っている。なにかもうとんでもなく更新が遅いのでもはや待っていてくれる人が居るとは思えないのだが、オーディオは僕の長きにわたる趣味なのでかろうじてつたない文章を書きながらえて生きていると云う所だろうか?

 

2022年は僕にとって激動の年ではあって、何かと時間が取れなかったことは事実だ。それにいつものことではあるのだが、「趣味が変遷する」ので休んではまた復活するという事の繰り返しでもある。オーディオは数年間真面目に取り組んでしまったので「充電期間」に入ってしまったというところだろうか。この一年は猫と写真とゲームとPCと原付バイクがメインであったような気がする。

 

そもそもオーディオは真剣に取り組むと時間とお金が湯水のように吸い取られていくので、恍惚として取り縋るような趣味かと云えばそれは違う。僕にとっての「いい音」という厳然たる基準はあるのだが、その基準が高いとほとんどのオーディオは振るい落とされてしまうため、購入したほとんどの物がそのままメルカリだのヤフオク!に流れていくことになる。初期のBluetoothなど購入して一回聞くとそのまま机の引出に放り込まれて忘れられてしまったものが多数ではある。1万以下のヘッドホンもほぼ全部そうなった。海外の掲示板で聞いたこともないような格安アンプの評判が良くて、なんだと!と興奮気味に発注してみれば「単なるゴミ」であったことも一度や二度ではない。

 

そうやって厳しく学んできたのだが、つくづくレビューというものは日本でも海外でも当てにならないものだなと思い至った。それよりも単純に売れている数を丹念に追っていた方が確実なような気がする。

 

2022年が終わりになり、もう既にレビューしたイヤホンの名機の多くが入手困難になり、新しい読者がきても手に入れるだけで一苦労となってしまった。一騎当千の当ブログの読者様にはぜひ名機で耳慣らしして欲しいという願望があるとはいえ、たとえばRHAなど今からでは手に入れるのにどれくらいの費用と年月がかかるのだろうかとふと思う。

 

イヤホンは断線の危険が高く、ヘッドホンはバンドやカップがボロボロに崩れて産廃同然になるので、つくづく人体に物理的に接触する機器の寿命は短いものだ。

 

そうなるとスピーカの方が断然長持ちするのだが、今度は時代の趨勢でスピーカはオワコン化してしまっている・・・。それに伴いかつて興隆を誇った日本ブランドのオーディオ機器もメーカーとともに沈もうとしている。先日カメラのブログを見ていたらオーディオメーカーとカメラメーカーが同列に扱われていてカメラもオーディオと同じ道を辿っているという話しには妙にうなずいてしまった。

 

両方共にとどめを刺したのが「スマホの台頭」である。

 

例えばiPhoneでも写真の質で云えばAPS-Cのミラーレス機には画質ではまったく及ばない。PCでよく見てみるとiPhoneの写真など真剣に取り扱うに足るクオリティはないのだが、スマホの小さな画面で見ている限り「綺麗に見える」わけで、あの画面の中では一眼レフもiPhoneも大きな差は無いように見える。

 

オーディオも同じ事でイヤホンやヘッドホンで聴く限り「本当に良い録音」というものも一切分からない。耳の近くで鳴るだけで解像度は高く聞こえるが本当にそれだけで音楽の持つ魂とそれを表現しようと苦闘する才能はまったく見えてこない。

 

音源を作る人もどうせ分からないので適当な仕事をするようになり、音が死んでいたり潰れてしまっている音源を世間に出して満足してしまっている。実際イヤホンやヘッドホンでは本当に分からないので、これも時代の流れにうまく乗っているという所だろう。

 

ただそういった事が見えるオーディオ機器というのはそれなりの投資とそれなりの選択眼が無いとたどり着かないので、それこそ何十年にもわたる職人の修行のような苦闘を続けることになるわけだ。

 

カメラなら素晴らしい写真が撮れたならそれを世間に発表する機会などインスタやブログやTwitterなどいくらでもあるが、オーディオは孤独すぎてそうはいかない。何が正しくて何が間違っているのかもわからない。正しく聞き込めているのかどうかすらわからず、あなたが聞いているその音自体があなた自身の脳で改変されてしまっていて、あなたが聞きたいだけの音を幻聴のように聞いているだけなのもわからない。

 

そういう意味で非常に特殊な趣味なのだ、オーディオというのは。

 

孤独と己自身との戦いの果てにのみ見えてくる音があるのだが、いつの時代も僕はそうありたいと苦しい戦いを続ける一握りの片隅で生きる人たちの道標でありたいと思う。